再び中国へ
前回の中国ロケからほぼ一年後。
自身は社員から円満退社(w)でフリーランスとなり最初に就いた映画で再び中国ロケを経験した。
日中国交回復20周年を記念して製作された合作作品。
監督とメインカメラマン(撮影監督?)は中国人、
照明、録音技師、美術デザイナーは日本人、
という文字通りの混成スタッフで、ほぼ2か月の中国ロケと2週間ほどの日本ロケ。
日本ロケには中国からは監督とカメラマンと合作公司の通訳さんと一部の俳優さん。
当初の予定より日本での撮影分が増えていたため結構なハードスケジュールだったが、
正直、日本に帰ってきての仕事のやりやすさに安堵感は相当なものだった。
いかに中国ロケが難攻不落で思い通りに進まなかったかを改めて実感した。
三すくみの中国ロケ
話は中国ロケに戻ります。
大連から始まり、五台山、杭州、中ヱ(ちゅうえい)を経てメインの西安へ。
準備期間あわせて2か月半くらいのスケジュールだったと記憶している。
照明部は日本からは技師と自分ともう一人で三人のみ。
中国からは機材トラック、ゼネレーター車のドライバーとゼネのオペレーター。
照明スタッフとして西安から2名、北京から3名の計5名。
機材は、日本から持って行ったのは消耗品とレフ版2枚で
あとは合作公司にあるものと西安撮影所のものを使用した。
合作公司の機材は以前に関わった作品で日本を含む海外チームが残していった機材だそうで、
ウシオやARRIのHMIやレフ板など。
タングステンのライトは西安撮影所からだったと思う。
ゼネ車は三穂電機の70kwゼネでこれも以前の作品の置き土産。
トラックは軍隊トラック的な荷台の高い幌トラックで、積み下ろしにはホトホト苦労させられた。
西安撮影所からの方で今回の監督・キャメラマンの組では常連の技師さんがいて、その方が中国側の照明スタッフの責任者だった。なかなかの堅物でライトの準備の打ち合わせの時は頷いて聞いていて「明白」って言ってるのだが、いざ本番になると全く違うことをしてたりしてしかも遅いので一向に準備がはかどらない。
北京から来たスタッフは皆合作とかの経験者で外国人スタッフとは度々仕事をしていたようだったので期待していたのだが、思うほど協力的ではなくがっかりした記憶がある。ライト一台点灯するのになん十分もかかる始末。それでも中国ロケ経験者の製作担当は「うまくいってる方じゃない」って言ってた。どんだけ大変なんだよ中国ロケは!来中(?)して2週間ほどだったがすでに挫折しそうだった。
後で通訳さんとかに聞いた話だが、西安側と北京側でも普段からウマガ合わないそうでそれに輪をかけて堅物の西安責任者のおかげで、北京側は動いてくれない。そして日本側の言うことも聞く耳半分くらいで、しっかりと協力はしてくれない。まさに三つ巴的な状況でやっていたそうな。そりゃあうまくいくわけないわな。時々監督が西安の堅物技師を怒涛の如く叱っていたのを覚えている。国際人の監督としては許せない状況があったということなのかな。
まあ、そんなこんなで各方面でいろいろとトラブルもあり精神的にもきつい現場だったが
それはまた別の話である。
中国人監督とキャメラマン
監督のT氏とキャメラマンのC氏は当然日本ロケにも参加した。
この二人には何故か中国ロケから気に入られていたように思う(私見かもしれないが)。
しょっちゅう冗談いわれたりして突っつかれていたのでそう思うだけなのかもしれないが、
中国人スタッフとの事でいろいろと世話になったのは事実。
二人は日本ロケのクランクアップ後しばらくは日本に滞在していたので、私ともう一人の照明スタッフとで、スケジュールとかを確認して頃合いをみて誘って飲みに行った。
調布の宿泊ホテルの近くでお二人が大好きだという焼き鳥を肴に(あのお店ですw)3か月程の労を語り合い酒を酌み交わした。(もちろん通訳もいました)今でも鮮明に心に残るいい思い出だ。
その2~3日後に二人は中国へ帰っていった。
「再会」とは言っていたが、まさかその日が来るとは夢にも思わなかった。
コメント